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ヤフー百科事典から調べてみました。 誰もが、多分・・・身近で無いから知らないと思います。 たまたま、私は近い場所(イラク)に三年間居たことがあるから、興味もあるし・・・ 身近な所で、パレスチナ難民を目にして来ましたから・・・少しは知って居ます。 (クウエートや、ヨルダンやエジプトを訪れたことがあります・・・もちろん、微妙にそれぞれの国の対立や利害はありますから、上手くいかないことも多々ありましたが・・・大きな塊としては、アラブは一つの感は強いですね。) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 西アジア、パレスチナ地方南西端の地中海岸にあるパレスチナ自治区(ガザ地区)の中心都市です。 1994年5月、パレスチナ解放機構(PLO)議長アラファトとイスラエル首相ラビンが「ガザ・エリコ合意」(カイロ合意)に調印して、パレスチナの暫定自治区となり、先行自治が始まった。 長期にわたりイスラエルの軍事占領下にあったが、2005年9月のイスラエル軍撤退により、パレスチナ自治政府が行政・治安権をもつパレスチナ自治区となった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー パレスチナ自治政府とPLOの事務局がある。 ガザ市の人口は36万7388(1997)。 「ガザ地区」は面積365平方キロメートル、人口約110万(2001推計)。 2001年には110万人だったのが、2008年には150万人を超えて居るとか! まさに、収容所のようである。 イスラエル占領時人口の半数はイスラエルを脱出したパレスチナ難民であり、国連難民救済機関(UNRWA)の援助を受けていた。 エルサレムの南西80キロメートルにあり、エルサレムと地中海、シリアとエジプトを結ぶ要地で、古くから交易の中継地であり、このことが歴史的に複雑な支配を生んだ。 『旧約聖書』にもヘブライ人の英雄サムソンが活躍する舞台としてガザが登場する。 アレクサンドロス大王の占領後、ユダヤ人が制圧したが、その後ローマ帝国が支配しユダヤ人を追放、7世紀以後アラブ人の支配するところとなった。 近世にはオスマン帝国の統治下に入り、第一次世界大戦中の1917年イギリス軍が占領し、47年までイギリスによる委任統治が続いた。 (私が居たイラクも、イギリスによる統治が続き・・・多く居る族長たちが、その自治を任されて居ました。) 第二次世界大戦後パレスチナへのユダヤ人国家創設をめぐって、ユダヤ人とアラブ人が対立し、国連によるパレスチナ分割案が決議され、ガザ地区はアラブ側に編入されることになった。 (この時の国連の決議が・・・将来の争いの種を作ることになった!と思います。甘かったですねえ〜、この時、きっぱり、どちらかの国にしておけば良かったのに・・・)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1948年の第一次中東戦争でエジプト軍が占領したが、67年の第三次中東戦争でイスラエル軍が占領した。 (この時、アラブの国々では、兵を出し、知り合いのアリーの家の息子たちは二人も亡くなって居ます。だから、アリーの家は、未だにパレスチナ寄りです。アラブは、そういう意味では一つです。) 87年、ガザで大規模な反イスラエル闘争(インティファーダ)が発生。 88年、アラファト議長は、ガザ地区とヨルダン川西岸地区を領域とするパレスチナ国家の独立を宣言。 93年ワシントンでラビン首相と「パレスチナ暫定自治合意」に調印した。 その後、ラビン首相暗殺等によって和平交渉は停滞したが、1998年アメリカ大統領クリントンの仲介によって、アラファト議長とイスラエル首相ネタニヤフの間で、ヨルダン川西岸からのイスラエル軍追加撤退合意(ワイ合意)が調印され、いったんは前進した。 しかし、2001年に右派強硬派のシャロンがイスラエル首相に就任して以来、和平交渉は暗礁に乗り上げている。 03年には、シャロン首相と自治政府首相アッバスが「ロードマップ」(中東和平の行程表)の実行を合意したが、暴力の応酬と混乱が続いた。 その後、アラファトの死去に伴いPLO議長兼パレスチナ自治政府長官となったアッバスとシャロン首相は、2005年2月エジプトのシャルムエルシェイクで会談、同年8月15日イスラエルはガザ地区からの撤退を開始し、9月12日には撤退を完了。 1967年の第三次中東戦争以来38年間続いた「占領」が終結し、ガザ地区はパレスチナ自治区となった。 また同年11月には、イスラエル軍撤退以降閉鎖状態になっていた、エジプトとの境界にあるラファの検問所が、パレスチナ自治政府の管理のもとに再開した。 なお、1998年11月ガザ地区南部ラファ付近にガザ国際空港が開港した。 イスラエル側は開港に難色を示したが、西岸追加撤退合意で認めた。 しかし、発着はイスラエルの許可が必要であり、パレスチナとイスラエルの衝突が激化するなか、2001年イスラエル軍が空港を破壊、閉鎖されている。また、ガザ撤退後も制空権はイスラエルが掌握している。 住民の大部分はパレスチナ人でアラビア語を使用し、スンニー派のイスラム教徒。 (スンニ派のイスラム教徒は、全体的に貧しい人が多いです。) [執筆者:藤井宏志さん]による資料です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー アメリカと言う強い国の後ろ盾によって「作られた国・イスラエル」の中に、「パレスチナ」という自治区があるのが、不自然なのです。 何故??そんなシンプルなことが・・・ 何度も言うが・・・何故??あの土地に、双方が拘るのか? 私だったら、争いは嫌いだから、ひきますね。 ハイ、必ずひきます。 そして、もしアメリカと仲良しだったら、アメリカという「希望の国」で新たな生活をすれば良いじゃないですか!! アメリカは、「移民」を受け入れてくれる「懐の深い国」なんでしょう? ユダヤの成功組がいっぱい居られるのでしょう? あの土地は、アラブに譲りましょうよ。 アラブ人しか住めないような厳しい土地でしょ? それは、何ともならない「宗教・聖者の誕生の地」だからだろうか? ただ、岩が・・・ドームが・・・壁が・・・在るだけなのだが・・・。 聖者ならば、そんな「争い」を望むはずが無いのだが・・・。 あの世で、聖者たちは、どんな「話」をしているのであろうか? ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 社説:ガザ 「強制収容所」を終わらせよう (2008年2月5日の毎日新聞の社説より) 種子島より少し小さい土地に約150万人が住むパレスチナ自治区のガザ。外部との往来はイスラエルとエジプトによって厳しく規制され、電気も燃料も食料さえ底をついた。ガザの武装勢力はエジプトとの境界にある鉄壁を破壊し、飢えた何十万もの民衆が買い出しへと殺到した。 「兵糧攻め」がほころびたのだ。封鎖によって食料や生活必需品が底をつけば、ガザを支配するイスラム原理主義のハマスへの支持は弱まる。イスラエルはそう考えたのだろう。だが、恣意(しい)的に物流を止めて不特定多数の住民を苦しめるのは、非人道的な行為だ。人々が苦しむさまを黙って見ていたエジプトの態度も理解に苦しむ。 無論、ガザを支配するのがハマスでなければ、こうはならなかっただろう。今のパレスチナは、ファタハが治めるヨルダン川西岸とガザに分裂し、イスラエルと米国はハマスと険しく対立している。国内にイスラム原理主義の反政府勢力を抱えるエジプトも、ハマスの動きを警戒している。 ハマスは06年、パレスチナの民主的な選挙で政権を握り、封建的な世俗体制が多いアラブ諸国に衝撃を与えた。真に民主的な選挙を行えば、ほとんどのアラブ国家でイスラム勢力が勝つという見方もある。米ブッシュ政権が最近、「中東民主化」を口にしなくなった一因は、そのスローガンがエジプトなど親米政権を揺さぶる恐れがあると気づいたからだろう。 ハマスをテロ組織とみなすのは無理がある。とはいえ、住民を飢えと困窮に追い込んだ責任は重大だ。ハマスがイスラエルともファタハとも妥協せず武闘路線も捨てないなら、平和と安定への展望も開けまい。ファタハ出身のアッバス・パレスチナ自治政府議長も責任を痛感すべきだ。パレスチナ人全体の幸福を願うなら、両者はまず指導部統一へ努力すべきである。 さらに考えてみたい。私たちはパレスチナの現状に対して、あまりに無感覚になっていないだろうか。 たとえば、イスラエルはパレスチナ人の居住地域へ食い込む「分離壁」を造っている。国際司法裁判所は「違法」とみなし、国連総会も壁の撤去を求める決議を採択した。しかし、壁の建設はなお続いている。 占領地への入植地建設も相変わらずだ。イスラエルに不都合な国連安保理決議案には米国が拒否権を使うのが常だから、「何を言っても仕方がない」という空気が国際的に強まる。そんな現状は変えるべきだ。問題を放置すれば、ブッシュ政権が支援する「08年内の和平交渉妥結」も望めまい。 米国の公正さとともに国際社会の良識が問われている。 「屋根のない強制収容所」といわれるガザの惨状を終わらせるにも、国際社会の良識と結束が必要だ。 |
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おっしゃるとおりですね。あの土地に執着する所から争いが始まります。日本の「隣の家と仲の悪い」という理屈のとおりですよ。離れなければ解決しませんね。 |
よっこらしょ 2009/01/09 11:31 |
コメントありがとうございます。 |
ハイジママ 2009/01/09 13:52 |
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